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遺失、紛失、失敗・・・。私たちは毎日のように喪失を繰り返しています。成功や獲得、進歩などにどうも儚い響きがつきまとう一方で、何かを失う時の現実感はいかにも強烈です。
しかし“失うということ”は必ずしも悪いことづくめではないような気がします。“喪失”もどこかに宝を隠してはいないでしょうか。私たちが生きていく上でも、失ってみないと分からないこと、失ってこそ得られるものがたくさんあります。
陶芸の世界に一例を求めれば、釉となる木の灰は木材が燃え尽きた後にほんのわずかに残ったものです。木材を窯焚きの燃料に使えば、粘土を陶磁器へと焼き上げる熱を生み出します。そして数トンの材を燃やした後に残るほんの数十キロの灰は、美しい釉の材料になるのです。
作陶においても努力した分だけ目に見えて進歩が得られるわけではありません。多くの努力の後にほんの燃えかす程度の進歩が得られるわけで、累々たる失敗の上にようやく一握りの成功を見ることができるのです。
頭の中に思い描いた作品を実際に作り始めると、何か物足りないどころか全て足りないとさえ思えることがあります。一つのイメージを実現する為には、しなければならないことはたくさんあるのです。簡単に作ってそこそこに満足してしまったものと、妥協せずに失敗を繰り返して辿り着いたものとは全く違います。
目先の成功、失敗にとらわれずに自らの作陶が常に通過点であると考えた方が良いのではないでしょうか。成功に思えた作品が色褪せてしまったり、失敗だと思っていた作品が時を経て良く思えて来たということは、当たり前のように良くあることなのです。
2001年7月18日
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今月のチビのお言葉
「おいらの犬生は、失うことはないワンが、おあずけの毎日だワン・・・」
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